INTERVIEW

金森穣と井関佐和子、
『NINA―物質化する生け贄』を通して、
Noismの“今”を見つめる。

NINA 物質化する生け贄

photo:Kishin Shinoyama

photo:Kishin Shinoyama

金森穣

Jo KANAMORI

演出振付:金森穣

(Noism芸術監督)

Noismは集団として、
その覚悟を問う方法論を
見つめ直さないといけない。

金森穣のリアリティ

14年目になるNoismが、
今このタイミングで初期の代表作である
『NINA―物質化する生け贄』(以下『NINA』)を
再演するに至った経緯を教えてください。

 これからのNoismを考えたかったからです。そのために、メンバーそれぞれの身体性の強度が、今どのくらいのものなのかを体感したい。だから、Noismの身体的規律である「Noismメソッド」を確立するきっかけになった『NINA』を再演しようと決めたんです。『NINA』を圧倒的な強度で踊れる集団でなければ、Noismとして集団活動する意味はない。この機会にちゃんと見つめてみようと思いました。

それはNoismが転換期を迎えている
ということでしょうか?

 それはあります。13年続けているのに、逆に転換期を迎えない方がおかしい。だからこそ今、この13年という歳月をかけてNoismはどこに辿り着いているのか。何が初演当時の強さで、何が今現在の強さなのか。『NINA』を通じて見えてくるし、見る必要性を感じました。そもそも舞踊家の覚悟を、これだけシンプルに問うような作品は他にないですから。お客様にもメンバーそれぞれの舞踊家としての生き様がダイレクトに伝わるだろうし、金森穣が求めている身体性がわかる。ついでに「本当にスパルタなんだな」って、気づかれてしまうでしょう。

舞踊家とは本当に、
観る者にとっての「生け贄」ですね。

 そもそも踊っている自分を舞台上で人に晒すなんて、舞踊家とは本当におかしな存在ですよね。舞台上で極限まで踊って、死にそうになればなるほど観客のみなさんは喜んでくれるんですから。もちろん、そうではない舞踊家もいます。ですが、舞踊家・金森穣としてのリアリティは、人間の限界=死に、いかに近づくか。そこでしかないんです。自分が踊っていてすごく楽しいとか、気持ち良かった瞬間に褒められたことなんて、人生に一度もないですから。それはずっと揺るがない事実。だから生け贄なのです。そのために極限まで死に近づけるように徹底して体を鍛えるし、技術を磨くし、表現を突き詰めるし、稽古をするんです。死に近づけば近づくほど、その瞬間、生きるために。

その瞬間を、Noismという名の集団で
追い求めているんですね。

 そうです。舞踊家が舞台の上で完全に生ききること。その極限状態を舞踊家としても芸術監督としても私は求めているので、Noismではそこにたどり着くための環境、作品をつねに創ろうとしています。もちろん、作品によってテーマやメッセージは変わります。でもそれはあくまで装飾の部分であって、根底にあるのは極限状態を作ること。極限まで追い込んで追い求めて……、それを集団として他者と共有していくのは非常に難しいことなんです。でも同時に追い求めないと、舞踊家として見えてこない風景があります。

今回『NINA』を再演するにあたって、
新たに作品を再解釈したことはありますか?

 コンセプトについてはすべてを出し切っているので、新たにということはないです。唯一あるとすれば、演出と衣裳。3人のNINAが赤い照明で踊るシーンがありますが、初演当時は赤い照明も使わず、衣裳もチュチュを纏っていました。じゃあなぜ赤い舞台に変化したのか。それは2007年のブラジル・サンパウロ公演で、チュチュの衣裳だけが届いていないという緊急事態に対応したことがきっかけなんです。衣裳が届かなかったので、赤い照明を当てた演出に変えた。その咄嗟の判断が、結果的に『NINA』の精度を高めることに繋がっていきました。なので、今回衣裳を一新するにあたってSOMARTAの廣川さんには、赤のSkinもお願いしたのです。

「Skin」とはSOMARTAの代名詞とも言える
「Skinシリーズ」ですね。
人体に合わせて360度継ぎ目なく
高密度に編みこんだ無縫製ニットを、
今回、『NINA』の身体に合わせて
作っていただいたと。

 『NINA』の身体性は、ある種のフリードリヒ・ニーチェが提唱した芸術的衝動のうちの1つのアポロ的な、つまり統制のとれた権力の支配構造で保たれているんですが、その構造をぶち壊す瞬間、まさに不定型で混沌としたディオニュソスに変化する瞬間があって、その象徴が赤なんです。廣川さんとは過去、Noism作品の衣裳を手がけていただいたことのあるISSEY MIYAKEデザイナーの宮前義之さんの紹介で出会ったのですが、一貫して「身体における衣服の可能性」を探求されているその姿勢に、とても共感しています。

渾然一体となる衣裳とともに、
極限状態の身体を差し出す。
舞台とは本当に残酷ですね。

 残酷ですよ。人は目の前にある物質に対してデザインが美しい、美しくないと言うでしょう。舞台ではそれを人間に言うわけだから、非常に残酷な世界です。自分の持って生まれたものが、「YES」か「NO」で瞬時に区切られてしまうから。舞踊は身体的に恵まれている人が圧倒的に強い世界です。でも同時に、表面上は見えない、感性や精神的強度が問われる世界でもあるんです。そんな世界に生きると覚悟した以上、「作品が面白い」という次元ではなく、プロとしての身体感覚や強度を突き詰めていかなければいけないんです。しかも、Noismは日本で唯一の公共劇場専属舞踊団。「日本の文化芸術として、舞踊のプロフェッショナルたちの生活が保障されているのは、当たり前じゃない?」と思ってもらうために、立証していかなくてはいけません。

13年という活動の軌跡が、
それを立証していると思います。

 Noism全体を通して、個々の技術的には上がっていますし、実際メンバーはよく踊っています。でもさらに上に行くためには、それぞれの覚悟にかかっています。テクノロジーの進化によって、いろんなことが器用にできる時代だから、死ぬ気で覚悟するようなものは、芸術に限らず今はあまり求められていません。それにはインターネットもひとつの弊害になっていると思います。ネット社会によって、それまで内側に抱えていたものがすべて陽のもとにさらされていく。人間の影までもが露呈してしまっているんです。つまり立体感が世界に生まれにくいんです。そういう社会のなかでNoismは集団として、その覚悟を問う方法論、あるいはトレーニングを改めて見つめ直さないといけないと思っています。

個が問われるこの時代に、
集団であることの意味とは?

 集団という言葉を私自身がよく使いますが、前提として、個か集団か、ということではないのです。そもそも個の集合体が集団だから。ゆえに集団でいることが個性には繋がらないし、集団が先立ってはいけないんです。深さを持った個が集まって、より強い集団ができる。そういう意味では私自身、個としてもっと刺激を受ける必要があります。私は今年で43歳、Noismも15年目に近づいています。そういった様々な要素を踏まえると、このタイミングで『NINA』を再演するのは必然だったように今は思います。

ところで“NINA”の由来とはなんでしょう?

 実は『24-TWENTY FOUR-』という海外ドラマがきっかけです。アンドロイドのような、血色の薄い北欧の女性をイメージしながら、何かこの作品に似合う名前がないだろうか……と考えていたとき、ちょうど『24-TWENTY FOUR-』にニーナ・マイヤーズという女性が登場したんです。それで“あっ!ニーナがいいんじゃない?!”と(笑)。彼女の風貌や性格がイメージにぴったりだったのと、ニーナはスペイン語で“Niña(ニーニャ)”、少女のことを指すんです。それで作品のコンセプトにも合うと思い、“NINA”になりました。こう見えて、海外ドラマは好きなんです。

先ほど哲学者のフリードリヒ・ニーチェの
名前が挙がりましたが、
まさに科学や技術では解明できないような
人間の深層心理こそ、Noismなら問うことができると思います。
芸術とは、問題提起だから。

 そうですね。舞踊とはその歴史から紐解いてみても、シャーマニズムと呼ばれる超自然的存在とも深く関わりがありますし、時代とともに表現方法は変わってきていますが、それでもずっと根底にあるものは、「人間とは何か?」「生命とは何か?」という答えのない普遍的な問いです。それはこの先、例えば100年後の未来に「下半身は超合金です」といったまるでケンタウルスのようなトランスヒューマニズムが実現しても、その本質はきっと変わらないでしょう。Noismもまた、舞台という時空感でそれを問い続けているんです。だからこそ、舞踊家である私たちは、自由に精神の冒険をしながら人間を超えるようなパフォーマンスをしなくてはいけないんです。人生をかけて。

最後に、今回、新潟公演では
最新作『The Dream of the Swan』の上演が
急きょ決定しました。
井関さんによるソロ作品とのことですが、
この作品が生まれた背景を教えてください。

 今回のNINAに佐和子は出演しないという判断を下した時から、この期間に何か佐和子に創れないかと考えていました。そこである日、ウォームアップしながらパソコンに保存してあるトン・タッ・アンの楽曲を聴いていたら、この〈The Dream of the Swan〉が流れたんです。そこですぐにこの作品のイメージが湧いてきました。実はこの曲は2013年に発表した佐和子のソロ『囚われの女王』を創作していた時にアンに作曲してもらったものなんです。あの当時はピンとこなかったけれど、再会した曲から新たなイメージが湧いてくる。曲との出会いはまさに一期一会ですね。そして出来上がった作品を見た時に、NINAとの同時上演にも相応しいし、この作品は今生まれる(発表される)べきだなと感じました。今の井関佐和子のために創りましたし、今の佐和子だから表現できるソロになったと思います。悲しい作品ですが、佐和子の生き様をぜひ見届けてほしいです。

photo: Noriki Matsuzaki

井関佐和子

Sawako ISEKI

リハーサルディレクター:井関佐和子

(Noism副芸術監督)

舞台で生きることを
本気で欲するかどうか、
それが明らかになる作品です。

舞踊家の覚悟

『NINA』初演のオリジナルキャストであり、
Noism作品には欠かせない存在と言える
井関さんですが、
今回は出演せずに
リハーサルディレクターに徹した理由を
教えてください。

 今、私は舞踊家として転換期を迎えています。集団として活動するなかで13年が経ち、Noismメンバーの世代もだいぶ若くなってきました。そういう環境のなかで、井関佐和子という舞踊家は、年齢や経験とともに集団の中のひとりとしては存在しにくいところがあるんです。例え私がどんなに集団のひとりであることを望んでも、周囲の人たちは、なかなかそう見ない。であるなら、どうしていくべきなのか。それはここ数年、考え続けていることでもあるんですが、そのひとつの選択として、『NINA』はリハーサルディレクターとして参加することにしたんです。

Noism副芸術監督として、舞踊家として、
決断されたのですね。

 もちろんすごく迷いました。自分が出演することで、100%の舞台を引き出したい、他のメンバーをより超越した舞台に連れ出したい、という自我は今もあります。でも同時にこれからのNoismを担う若いメンバーたちには、より個々が生きた舞踊家になってもらいたい。それは集団である以上絶対ですし、私自身、それをディレクターとして支えたいと思いました。私の転換期はNoismの転換期でもあるんですね。そういったなかで『NINA』を今ここでやることは、とても良いきっかけを作れるんじゃないかなって。芸術監督の金森穣が求める身体性が一番明確になっている作品だから。個々の強度や深度も明かされるし、試されると思いました。

リハーサルディレクターという立場から、
現場では舞踊家たちに具体的にどんなことを
求めたのでしょう?

 一番は「自分のすべてを出し切って」、ということですね。稽古場では大げさにやりすぎても構わないんです。それは整えていけばよいことですし、何よりやりすぎて間違えた先にこそ新しい風景があるかもしれない。そういう冒険心が舞踊には大切だから。これは私自身が舞踊家として実感してきたことです。逆に出し切れていないまま踊ることの方が大変なんです。もう歴然としますよ。出し切ることでその瞬間集中して何者でもなくなっている身体と、出しきれないまま、次の踊りのパートを待ってしまっている身体というものが。だからこそ、まずは出し切る。その上で悪いところは穣さんや私に指摘されながら整えていけばいいし、最後は実際の公演で、お客さんのエネルギーを直に感じながら駆け引きが生まれればいいですから。それが一番大切なことですし、私が現場で求めてきたことです。

『NINA』は「Noismメソッド」の出発点にも
なった作品ですね。

 はい。クラシックバレエをはじめとする西洋発祥の舞踊文化を、現代の私たちアジア人の身体に適するように再構築すること、そして日本人が培ってきた身体の在り方を、現在にも有用な方法論として確立すること。「Noismメソッド」はそれを踏まえたもの。垂直でも水平でもないその間にある身体の緊張感を重視しながら、“張りのある身体”を追求しています。私たちはよくこの“張り”という言葉を使いますが、例えばゴムをイメージしてもらえると良いかもしれません。螺旋のように捻ったゴムを、さらに上下に引っ張っている状態。捻られることで全体にエネルギーが渦巻き、ただ上下にひっぱるよりも強度が増していますよね。それが“張りのある身体”なのです。

現在、この「Noismメソッド」は
舞踊家たちの日々のトレーニングの
一貫としても取り組まれています。
つまり『NINA』が携えている身体性は、
どの作品にもつながっているんですね。

 そうです。穣さんの作品は、ひとつひとつコンセプトががらっと変わるので、そのつど舞踊家の身体性も、大きく切り替わって見えるかもしれませんが、すべて『NINA』につながっているんです。その上で、メンバーには表面的な踊りの型だけをなぞるのではなく、型の奥にある本質を自分でつかみ取って欲しい。そのためには舞踊家としての深度が必要なんです。「集団には強さがある。個人には深さがある」。これは演出家の鈴木忠志さんが言った言葉なんですが、まさにその通りで、みんなで同じ方向を見て進むことができるNoismは、集団の強さはあります。そこは胸を張って断言できることですが、ただ、個々の深度という点ではもっと深くなるはず。今のNoismにとって、深度をどう掴み取っていくのかが課題なんです。

井関さんはNoism の筆頭舞踊家として、
そこをどう乗り越えていったのでしょう?

 人には絶対に負けたくないという気質は、一番強いと思います。例えば舞台で一列に並んだときに、他の舞踊家よりも一歩前に自然と出てしまう気持ちです。そういう気持ちがいざというときに結構重要になってくるんですよね。あとは覚悟です。Noismに入団して、初演の『NINA』を踊った後から少しずつセンターを任されるようになったんですが、ある瞬間から褒め言葉以外、なくなってしまうんです。逆を言えば、自分が少しでも失敗しようものなら、さげすまれてしまう。すべてを背負ってるんだ、というプレッシャーのなかで、舞踊家としての覚悟ができたんだと思います。『NINA』の海外公演では、それをいやというほど痛感させられましたし。そういった私の経験を踏まえてみても、舞踊家としての覚悟を持つには、『NINA』はもっとも適した作品だと思います。その覚悟が自ずと深度になるから。

井関さんにとって、
覚悟とは何を指すのでしょう?

 踊る本人が舞台で生きることを本気で欲するかどうか。それにつきますね。先ほどの「自分を出し切る」という話につながりますが、今のメンバーはものすごい理性を働かせて、誠実に踊っています。ただ私は、もっと怖がらずに、死ぬ気で自分の野性も含めたすべてを出し切って欲しいと思っています。それが舞台で生きるということだから。技術は教えられても、覚悟だけは教えられるものではないんですよね。自分でするしかない。そこを今回、期待しています。『NINA』は何の飾りもない、生の身体から発せられるエネルギー、舞踊家の魂を感じることができる作品。そのためにも、メンバーにはその瞬間を生きて欲しい。『NINA』を通じてこれからのNoismが見えてくると思います。

同時に舞踊家・井関佐和子のこれからも
見えてきますね。

 そうだと信じています。これから舞踊家として成熟していく過程で、何が出せるのか、それが見えてくるといい。少なくとも今までのやり方では舞踊家としては通用しなくなると思っています。身体の使い方はもちろん、どのようにクリエーションを進めていくのか。若い舞踊家と同じやり方をしていたら無理が生じますし、醜くなってしまう。その過程を自分自身で変えていかないと。誤解を恐れずに言うと、私にとって踊ることは仕事なのです。ちゃんと仕事として誠実に向き合ったその先に、芸術として繋がっていけばいいなと、そういう姿勢でいつも踊っているんです。逆に穣さんのような作り手は芸術家であるべきだし、実際にそうだと思いますね。だから私自身は好きで踊るとか気持ちよく踊るとか、そういう次元にはいないですし、いてはだめなんです。仕事ですから。でも、その仕事である舞台が、仕事以上のものを私に与えてくれる。この感覚は、これから40代に入って舞台に立つときにとても重要になってくると思っています。

今回、ソロ作品『The Dream of the Swan』の
同時上演が決定しました。
まさにこの作品からも、一歩先の井関さんが
見れると信じています。

 今回『NINA』に出演しない事は決まっていたのですが、リハーサル期間に穣さんが私にソロを創ってくれることになったのです。本当に嬉しかったです。シンプルに金森穣という振付家と向き合える嬉しさが一番でした。何が生まれるのか解らない。解らないからこそドキドキするんです。音楽も大好きな友人の作曲家のアンのもので、音楽が色々な所へ導いてくれるんです。そして気がつけば「作品」が生まれていました。今回発表することが決まり、舞台で久しぶりに稽古をしていると、身体が喜んでいるのが分かります。瞬間が永遠になる。そんな事を感じられる今がとても楽しいです。大切に大切にこの作品と向き合っていきたいですね。

取材・文/水島七恵
写真/遠藤龍

2017 © Noism All Rights Reserved.