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Noism0『still / speed / silence』シアター・オリンピックス公演

9月20日と22日の2日間、Noism0『still / speed / silence』を、富山県利賀芸術公演で開催された第9回シアター・オリンピックスで上演しました。
 

シアター・オリンピックスは、世界的な演出家・劇作家でつくる国際委員会により、1995年にギリシアで初開催された舞台芸術の祭典です。今回が9回目で、25年の歴史上初めて、二カ国共同開催として日本とロシアの双方で同時開催されました。
日本開催の芸術監督である鈴木忠志さんが率いる劇団SCOTの本拠地・富山県利賀村と黒部市を会場に、8月23日から9月23日の5週間にかけて、16の国と地域から演出家・俳優・舞踊家・スタッフ約500人がやってきて、30作品の公演と12のシンポジウムやトークが繰り広げられました。
人口約500人の限界集落にある舞台芸術公園に、芸術家500人に加え、観客やVIPを含む関係者約2万人が国内外から来場するのですから、通常の公演準備に加えて、宿泊・食事・移動手段…といったハードやソフトの両面で気の遠くなるような準備を行ってきた関係者の皆さんは、本当に大変だったことと思います。
でも、だからこそ、この場所での時間がいかに尊いものであるかを、実際に足を運ばれた方々は身をもって感じられたのではないでしょうか。
 

我々Noismが、今回のシアター・オリンピックスへの参加のお話をいただいたのは、2年ほど前の冬でした。
芸術監督の鈴木忠志さんから、「20年ぶりに日本でシアター・オリンピックスを開催するので、新作を上演しないか」と依頼をいただき、作曲家の原田敬子さんをご紹介いただきました。こうして、舞踊と音楽それぞれが委嘱を受け、世界から「演劇の聖地」と呼ばれる利賀村での特別公演が実現することとなったのです。
 

原田さんは、「演奏家の、演奏に際する多様な内的状況」に着目して独自の作曲語法を追求している現代音楽の作曲家。
「新奇な音は、幾らでも作り出せる。しかし創造的で新鮮な音楽は、作曲者の創作態度ばかりでなく、それを実現(実演)する媒体の演奏家自身が、演奏に際して、幼少から訓練された慣習的な方法のみに依拠せず、身体的にも精神的にも新たな体験をして初めて、生きた音楽として顕れる」という確信のもとに、演奏家の身体を変えてしまうような音楽を作曲してこられた方です。
この考え方は、舞踊に置き換えてもそのまま同じことが言えるのではないかと思います。
今回の共作が決まった後この1年半ほどの間、原田さんは幾度となく我々Noismの稽古場に足を運ばれ、朝の訓練からクリエーションの様子まで、つぶさに観察していかれました。今回の作品には直接関わらないリハーサルでも、常に何かメモを取りながら。
 

今回の創作に際しての原田さんご自身の回想録は、こちらのブログでもお読みいただけます。
https://www.keikoharada-music.com/blog/
 

6月末、そうして届いた曲は、トンデモナイものでした。しかも、本番では、録音に加えて生演奏が加わるというのです。
7月のNoism15周年記念公演終了後、そのまますぐに利賀村へ移動した金森・井関の2人と原田さんは、実際の公演会場である利賀山房に数日間籠り、本格的な創作がスタートしました。
9月、いよいよ劇場入りする数日前には、生演奏で出演される音楽家の皆さんも世界各地から新潟に集合。
テグム(韓国伝統の竹横笛)のホン・ユーさん、箏の菊地奈緒子さん、打楽器の加藤訓子さんと、音楽オペレーションの前久保諒さんも加わり、我々の本拠地りゅーとぴあで合同でのリハーサルを経て、利賀村に入りました。
 

会場の利賀山房は、鈴木忠志さん率いる劇団SCOTが利賀村に拠点を移して最初に活動を始めたところ。
古い合掌造りの建物を劇場として改造した特別な場所。能舞台の形式に近く、水平軸とずっしり下に落ちる重心、そして深い闇を感じる空間です。
 


手前は建築家の磯崎新さん設計によるエントランス。奥に見えるのが、合掌造りの利賀山房です。
エントランスは、三面ガラス張りで大階段を擁した「明」の空間で、ここを通って進むと、そこからつながる山房の「闇」が一層際立ちます。
 

本番までの限られた時間の中、音楽、照明、舞台、映像…と微細な調整が続きました。
そうして迎えた公演は、2日間とも超満員。特に2回目の公演は、キャンセル待ちのお客様が50人を超え、本当に残念ながらどうにもお入りいただくことができなかった方もいらっしゃったようです。
 

1回目の公演は、場所のエネルギーを。2回目の公演は、人のエネルギーを。それぞれに強烈に感じた時間でした。
利賀山房に限らず、ここ利賀村の劇場は、その場所がそれぞれに固有のエネルギーを持っているので、演者はいかにそこに「在る」ことができるかを問われます。それがこの地が世界から「演劇の聖地」と呼ばれる所以のひとつでもあるのでしょう。
そしてその姿を見届けようと、足の踏み場もない客席で身動きせずに息を詰めて舞台を見つめるすごいエネルギー。
それに全身で対峙する舞踊家と音楽家。
終盤、利賀山房の奥の扉が開き、眼前に広がる鮮やかな緑と、そこから流れ込んでくる冷たい空気がスッと肌に触れる感覚も含めて、あの場に居合わせた方々はそれぞれに「生」の感覚を強く身体に刻まれたのではないかと思います。
 

シアター・オリンピックス創設者の一人であり、日本開催の芸術監督でもある演出家の鈴木忠志さんは、25年前、設立に際して以下のようにコメントされています。
「全地球を覆い尽くす非動物性エネルギー(電気、石油、原子力等)を駆使したコミュニケーション・システムは、人々を素早く平等に結びつけてくれるように見える。しかし、このシステムに依存し、その力を信じすぎることは危険である。人間同士が直接に出会い、場所と時間を共にして相互理解を深める努力や機会を少なくし、その結果として、このシステムによって隠されてしまうことのある人間同士の不和や不平等、それへの想像力の欠如や無感覚を醸成する可能性があるからである。
演劇活動は、限定された場所と時間を少人数で共有して、動物性エネルギーを駆使し、人間への観察力を鍛え、人間が共存することの意味や方法を模索するものである。だから演劇は、21世紀の人間の意識をさらに支配するであろうこのシステムに対する、もっとも健全で力強い批判力を備えた文化として、その存在理由を主張していくことになるだろう。」
 

この場に立ち会ってくださった方々には、この言葉が実感をもって響くのではないかと思います。
鈴木さんと劇団SCOTの皆さんが、1976年に拠点をこの利賀村に移し、40年以上かけて培ってこられたものが、ここには根付いています。
そして、ここで行き交う人々は、芸術家も、観客も、皆それぞれにその価値と尊さを身体で理解するのでしょう。
ここでの新たな観客との出会いは貴重なものですが、Noismをきっかけに初めて利賀村を訪れ、世界の様々な団体の公演を観て、新たな発見をしてくださる方がたくさんいらしたことも、Noismにとっては嬉しいことでした。
我々も、これまで利賀村での公演には幾度となく足を運び、金森はシンポジウムや演劇人コンクールの審査員等で関わらせていただいてきましたが、Noismがここで公演させていただいたのは、実は今回が初めてでした。
Noismが新潟で設立されてからは、たったの16年目。まだまだこれからです。
また再び、次はカンパニー一同で、ここ利賀村で公演ができる日がくることを願って、精進したいと思います。
 


 


富山県利賀芸術公園の入り口に立つ案内
 


本部前に続々と集まってくる観客。ここで整理番号順に並び、それぞれの劇場に向かいます。
 


 


カーテンコール
 


音楽チームの皆さんと

私たちはNoismの活動を応援しています。