Noism設立15周年!「あなたにとってNoismとは?」
あなたの声を聞かせてください
Noismは、日本初の劇場専属舞踊団として、りゅーとぴあで2004年に設立されて以来、新潟を拠点に15年間活動を続けてきました。
今あらためて、Noismでは、皆さんからの「生の声」をお聞かせいただきたいと考えています。
「あなたにとってNoismとは?」率直なお気持ちをお聞かせいただけないでしょうか?
現在、新潟市では、Noismのこれまでの活動について成果を評価・検証するとともに、今後の方向性について意見交換を行う検証会議が行われています。この検証を経て、新潟市/りゅーとぴあでは、2019年8月末までにNoismの今後について判断するとしています。
作品の感想はこれまでもアンケート等を通してお聞きしてきましたが、みなさんがNoismのことをどう思っておられるのか、この機会にお聞かせください。
難しいコメントや、「良い言葉」だけをいただきたいということではなく、Noismのこれからを考えていくうえで、我々自身も、皆さんの率直な声を聞かせていただきたいと思っています。
なお、Noismでは、劇場専属舞踊団という存在が、「100年後のその先まで続く文化」として、新潟、ひいては日本で継承されていくために、Noismのことを知らない方にも我々のめざすところや活動内容を知っていただくための冊子を作成中です。
皆さんからの声の一部は、その中でもご紹介させていただければと思っています。
(一部抜粋になる可能性もあることをあらかじめご了承ください)
皆さんのご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
「あなたの声」の受付は終了いたしました。たくさんの声をお聞かせいただき、ありがとうございました。
受付方法
1)メール
Noismオフィシャルウェブサイトの「お問い合わせ」から、「あなたの声」を選んで送信してください。
*お名前は、匿名もしくは任意で構いません。
*「お住まいの地域(新潟市内もしくはそれ以外)」「年代」「職業もしくは所属など」を併せてお聞かせいただけると大変参考になります。
2)手渡し
7/19-28に開催予定の「Noism15周年記念公演」の会場で折込配布される用紙に記入し、スタッフまでお渡しください。
3)FAX
7/19-28に開催予定の「Noism15周年記念公演」の会場で折込配布される用紙(こちらからもダウンロード可▶あなたの声_募集)
に記入し、FAX: 025-224-5626(りゅーとぴあ)までお送りください。
締切:2019年7月31日(水)
すでにお寄せいただいた声(一部抜粋)
Noismの公演には、実は毎回欠かさず行っている。私にとっては年に数回の特別な時間です。でも、特別私が若い頃からダンスというか、芸術のようなものに興味があったわけではなく、もちろんやったこともなく、もともと劇場に行くという習慣があったわけでもない。でも、綺麗な服を着て、Noismを見に行くということは、私にとって新潟ではあまりないシチュエーションで、終わってから、BARでいっぱいお酒なんて飲んだ日には、なんだか美しいものに触れたことで新潟にいながらにして自分の生活全体までもがおしゃれに変わったような気持ちになる。
(20代 会社員 新潟市)
ブランド創出は早々簡単な事ではありません。年間予算を考えますと非常にお得な感じです。歴史も積み上げてきました15年になります。継続は力です、新潟市も、ノイズムも力があります。この15年を簡単に捨てないでいただきたい気持ちです。
(50代 製造業経営者 新潟県加茂市)
新潟市は都市である。たとえば、限界集落であることの負の側面を野外アートによって地域文化価値に反転させた「越後妻有トリエンナーレ」を参考にするのであれば同一モチーフの「水土」をやるのではなく、真っ正面から(西洋的な)都市文化を日本的に昇華させたNoism をこそ突き詰めるべき。政令指定都市であることによる(都市としての)文化性の萌芽をさらに継続して結実させていくことを願わずにはいられない。
(40代 経営者 新潟市)
Noismを理解出来ず、必要性などの話が出ている時点で、このまちの文化レベル、教育レベルの議論がどれだけ遅れているかがよくわかる。文化は歴史だと思う。15年という月日を費やし、市民が培ってきたこのまちの文化芸術のタネは、なんのためのものだったのか。私は、Noismが感じさせてくれる世界への扉を、それでもなお、日本に暮らすということのチャレンジの心を、未来のこどもたちにもしっかりと残しておきたい。
(40代 フリーランス 新潟市)
ぼくが新潟に戻ってきた翌年の2004年にNoismの歴史がはじまったわけだが、当時その存在に興味を持つことができなかった自分をとても残念に思う。それは金森穣が15年という時間をかけてつくりあげてきたものの変遷を見ることができなかった、ということを意味する。もちろんここ数年は必ず行くようにしていて、それぞれに楽しめはするものの、たとえよくわからなかったときがあったとしても、それを自分の理解力や感性の乏しさのせいにできた。そんなふうに思える表現が自分が生まれた新潟という土地にあることをとても誇らしく思った。そして新潟市は市民の安心安全な暮らしだけではなく、誇りを与えることをも公共(行政)としての役割と認識していることを燕市民としてうらやましく思った。
(40代 飲食店経営 新潟県燕市)
よくわからないけれど、「かっこいい」ということだけはみていてわかる。
おしゃれをしていく場所だということは知っている。
よくわからないけれど、「他にあまりない」ということだけはわかる。
私が生まれる前からあるから、新潟にNoismがいるということを当たり前のことだと思っていた。
(10代 小学生 新潟市)
ノイズムは商業的世界(たくさんの人を集められるかどうかが、大きな尺度となる世界)では実現が難しくなる表現のあり方を、地方自治体の財政を基盤とすることで、成り立たせ、実現・継続していこうとするひとつの文化的実験です。ノイズムの表現そのものに個人的に共感するかは別として、商業的世界とは離れた場所で独自の表現を追求している日本の多くの人々が、その実験を注視していることを知っていただきたいです。そういう人は新潟市にも少なからず存在しています。私もそのひとりです。財政難を理由に、文化に関わる公的予算が縮小されることに、新潟の文化に深く関わっている人々が、今非常な息苦しさを感じています。もしノイズムの新潟での存続が絶たれるとするなら、その息苦しさは耐え難いほど深まるでしょう。大衆的な人気を持つ表現は、商業的世界の人々が担いやすい領域です。そうではない領域を支 援することは、商業的世界の人々には逆に困難なことであり、その補完をこそ、行政が担うという考え方があっていいと思います。その考え方の確立が、新潟から、全国の都市に大きな波紋を広げていくことになるはずです。逆にそれを捨て去れば、全国の良質な文化的な人々(商業的世界とは離れた場所で独自の表現を追求することに大きな価値を感じている人々)に絶望感を味あわせ、新潟は軽蔑の対象となるでしょう。そのこともひとりの新潟市民として、大きい苦痛です。
(60代 美術評論家 新潟市)
新潟で芽生え、育ち、海外にまで輸出されるようになったものは、そう多くはないのではないかと思います。Noismは 新潟という都市の看板を背負い、国際的な知名度やイメージの向上にも一役買っています。文化としてはまだ若く、市長 がおっしゃっていたように、評価は広く浸透していないのはわかります。ですが、未だ十分に理解がされていないからといって、海外(それも、ヨーロッパ、アジア、ロシア、南米、北米に渡る 広域に)に輸出される実の成るまでになった 果樹を、切り倒す必要を感じません。それで得られるメリットよりも、この事業が15年かけて対外的に築いてきた信用や実績を水泡に帰すことの損失の方が計り知れません。むしろ、ここまで育つ力があるのだから、金森氏のおっしゃるように、行政と市民の手でちゃんと100年続く事業に育て上げていくことを願います。芸術・表現を学ぶと言うことは、 創造行為全般に対する意識・リテラシーを向上させるということで、それが何より、この先の時代で重要視されるものな のではないかと思います。そういった面の『公共』の利益を担い続けようと自認して活動するNoismのような芸術家集団は日本では稀です。(唯一かもしれません。)新潟は大事にこれを育てなければならないと思います。
(30代 デザイナー 新潟市)